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2013年5月24日 (金)

泰山木に寄せて

泰山木の思い出
亡き父はことあるごとにふるさとへの思いを口にしていた。
其れが、生まれた鳥取県の片田舎倉吉だったのか
育った岡山の旭川の近くで軍服を作っていた家か、
はたまた学生時代をすごした大阪だったのか、
父の気持ちの中でも時々違っていた筈ではあっても
九州の西の果て長崎に腰を
下ろし三人の子の父親になっても、何時かは「帰る事」が規定の
事実だと決して自分の家を持つことはしなかった。
経済的に家を買うことは出来たのに、長崎はあくまでも父の
気持ちの中では「仮の地」で、山陰の町大山のみえる故里へ、
岡山旭川の水辺りの家、まなび遊んだ大阪へ思いを断ち切ることは難しかったのだろう。
 私が小学6年生だった、
父は患者さんからの紹介で断わりきれずに家を
買うことにしたと、家族に相談したしていた日を思い出す。
母は、長崎の生まれだったし父の口癖の「国に帰ろう」には、口には出さずとも気分が
良い筈はなかった。
話はあっさりと決まり鳴滝の137坪の古い屋敷は、父のものになった・
その家の玄関を真ん中にして右にタイサンボク左にザボンの大きな木が
あり日差しを遮って屋敷は、暗く不気味だった。
 後に改築された家にはタイサンボクもザボンの木も無くなった。
白い大きな花も大きなザボンの実も無い、のっぺりとした広い庭に父は人が
泳げるほどの池をつくった。
 父は、故里への思いも断ち切って仕舞ったのだろう、「国へ帰る」言葉が
その後父の口からは聞かれなくなったのが幼い私には、いささか残念な
ことだった。

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コメント

歳を重ねますと両親との思いでが一段と強くよみがえってくるものですよね。
お父様の姿を小さいなりにもよく観察していたことが分かる日記ですね。
ご両親も喜んでいることでしょう。

おさんぽさん
綺麗事に書いていますが、内実はこの父の母との
諍いが多かった我家でした。
兄は長男で大事にされ妹は末っ子で甘やかされ
真ん中の私は、貧乏くじを引いた感が何時までも
消えずにトラウマになりました。

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